切り傷を負うには,痛みが伴う。やけどを負うには,熱さが伴う。それが,リアルである証しとも云える。だが,リアルではない社会がリアルを覆っていく,その一過程にある,混乱。
9月30日の午前中,茨城県東海村の民間ウラン加工施設「ジェー・シー・オー」で,日本初の重大な原子力事故が起こった(asahi.com)。被爆者は10月1日の昼の時点で49人となっている(科学技術庁)。事故原因は作業員の認識不足による指示ミスの可能性が報告されているが(Bloomberg.co.jpc),それにより核分裂反応が起こり,臨界状態を引き起こされた。核燃料サイクル開発機構のページで放射線が異常に放出された様子がうかがえる。現地のスーパー・コンビニでは,ミネラルウォーターを求める客が殺到。店舗側はカップ麺なども含め供給するとともに,安全性が確保されないおでんなどの販売を控えている(Bloomberg.co.jp)。また日立製作所は,現地のLSI向上の操業を停止(Nikkei BizTech News!)。チップ株価の若干の上昇が引き起こされている(WIRED NEWS)。
あまりにもわかりやすい重大ニュースなので,掲示板の書き込みで最初に見たときは冗談かと思っていたが本当だった…。原子力工場が事故を起こして放射線が放出,半径350m圏内の住民に避難命令,政府による対策本部の設置,とまるでシナリオのような展開。こんな事故が起こるんだなと,呆れるのが第一だろう。
TV画面の向こうのただならぬ気配。もちろん,ただならぬ事故であるから当然なのだが,問題は,なにも目に見えない,ということ。無色透明で,触感も感覚も役に立たぬ放射線が,そこにある恐怖は,言葉に表せない。チェルノブイリでは,被害者の救出に向かった救助員が不用意に放射線を浴びて,そのほとんどの人たちが亡くなった。そこにあるのは,リアルではない恐怖だ。怖さも痛さもないものが死に至らしめる。リアルワールドが,リアルを失っている,分かりやすい事例,かもしれない。
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